こんにちは!レーヴ支援員です。

本日は場面緘黙症について取り上げます。

 

『皆さんは「場面緘黙症」をご存じですか? 近年はテレビなどでも取り上げられることが増えてきましたが、まだまだ知名度が低く、そして周囲の人に知識がない場合には誤解されやすい症状であるため、今回はブログで紹介していきます。

※筆者は専門家ではありません。ひとりの経験者としての発信です。私の症状や気持ちがすべての人に当てはまるわけではありません。また、専門的にもまだ解明されていない部分が多いです。

 

場面緘黙症とは、幼少期に発症することが多く、基本的に、特定の場面(自分の家など)では流暢に会話ができるのに、別の特定の場面(学校、会社、友達の家など)では喋りたくても声が出なくなる症状です。どの場面でも一切喋れない「全緘黙」の状態になる人もいます。喋れないだけでなく、うなずきや指さしなどのコミュニケーションもできなくなったり、移動したくても体が動かせなくなることもあります。 逆に、声が出ないだけで筆談や運動はできたり表情が明るかったりするために、かえって「問題ない」「わざと喋らない」と誤解されることもあります。 おとなしい性格のせいというわけではなく、家では快活だったりするため、本人が非常に追い詰められていても、家庭で状況の深刻さに気付かれていないことがある恐ろしい症状です。 これが続くと、日々の生活でつらい思いをしたり自信を失っていくだけでなく、大きくなって就職でつまずいたり、うつなどの二次的な病気を引き起こす可能性があるのですが、喋れない場面での本人の意思表示が難しいことと、周囲にあまり影響がない(最悪気付かれることすらない)ために、本人や周囲に知識がなければなかなか解決できないまま長年放置されてしまうのです。

 

喋れない原因は、主に不安の強さだと言われています。 私の場合、(ここは外から見た人が想像で誤解するところだと思うのですが、)「喋ること自体が怖い」「恥ずかしい」ではなく、ましてや「無視している」とか「反抗している」でもなく、「喋って『いい』場所以外で喋ると世界が崩壊する」というような恐怖で固まっていました。つり橋で足がすくんで進めなくなるのと似ています。それも、自分の恐怖で喋れなくなるという自覚はありません。子供のころ、意に反して喉や手足が固まるのを本気で「心霊現象?」「催眠術?」と思っていたぐらいです。なにせ、動けないときはトイレに行きたくても目の前で蚊に血を吸われていても動けないのです。自分でやっていると考えるにはあまりに理不尽でした。

 

また、やはり私の場合ですが、喋っていい場所かどうかは経験で決まっていくようでした。自意識過剰な自覚があり、「『この人は喋らない人』と思われているだろう」と思う場面では余計に喋れないことを意識してしまい、本当に喋れなくなるため、喋れない場面が固定されていく感じがしました。一度喋れた場面では「『この人は喋る人』と思われているだろう」という気がして声が出やすく、その結果学食で同じメニューに限って声で注文し続けるようなことはできました。(うどんが好きな人だと思われていたんだろうなぁ……) 内気とも少し違って、じつはだいたい何をやってもほめられる子で、自信があって、自己顕示欲も多分強いほうで、やりたいこともいっぱいあったのですが、恐怖には勝てませんでした。 授業中にみんなが当てられて答えられないなか、答えがわかっていて「ここで答えたらヒーローだ」と思ったのに、当てられたらいつものように何も言えなかったこと。 歌のテストのとき、家でたくさん練習して、「私は絶対に歌がうまいし聴いてほしい」と思っていたのに、学校で歌えなくて「なんで歌わないの」「もっと頑張って」と言われたこと。

 

大学生のときに場面緘黙症という概念を知ってどんなに助かったか。霧が晴れた思いになりました。若いころ、たくさんの「ありがとう」「ごめん」が言えなかったのが一番悔しいです。 対応について、どこまで一般的な話ができるかわかりませんが、私としてはまず「怖がっているんだ」ということをわかっていただきたかったです。 怖がっているので、喋らないことを叱ったり、「あと1分で喋りなさい」「授業を止めたらみんなが迷惑です」のようなプレッシャーをかけたりするのは、正直傷つくだけで無駄です……。余計に動けなくなります。喋れなかった場面でも、ずっと楽しい雰囲気であれば、それだけで喋れることがあります(何か月か何年かかかるかもしれませんが)。私が学校で喋れるようになったきっかけも、喋らない私にずっと声をかけ続けてくれた後輩がいたり、私が喋れることを知っている親友と同じクラスになったりしたことでした。

 

場合によっては難しいかもしれませんが、無表情で無視されているように見えても、普通に明るく声をかけるなどして接してもらえれば嬉しいですし、うなずきなどそのときできることで人の輪に参加したいですし、それがやがて喋れるようになるための近道だったと思います。もちろん、小さいうちから周囲が気付いて、医療などの専門家につながるようにサポートできれば一番いいと思います。 また、大人になってくると、喋らなくてもできる仕事をすすめられることがしばしばありました。現実的に当面のお金を稼ぐ手段として喋らないアルバイトなどをするのは自信をつける上でもいいと思いますが、私の場合は決して喋りたくないわけではなく、人とコミュニケーションをとらないとしんどくなってくるタイプなので、長期的な仕事のためにはやはり喋れるようになることのほうを目標にしたかったです(これは人によると思います)。

 

最後に、場面緘黙症はある程度は本人の意思で克服するしかないにしても、そもそものなりやすさは体質のようなものだと思います。今苦しんでいる方々に責任はないと言いたいです。 若い人たちが、喋れないことで怒られたりいじめられたりすることがないように、そしてできれば喋れるようになるまで温かく接していただけるように願っています。

 

場面緘黙症のことは思い出したくない記憶であり、また、思い出すことで「表現ができないときの自分」が出てきてしまうため、じつは今回冷静な文章を書くのにかなり時間を要しました。自己表現のリハビリのつもりでブログを書いています。

ずっと助けてほしい気持ちと諦めと、怒りと恨みの中にいて、そして結局あまり助けてもらえなかった結果いまA型事業所にいるのですが、大人になった私は助ける側に回りたいです。 知識は一番大切な力だと思っています。 この記事がどなたかのお役に立てますように』

 

ブログ記事へのご協力ありがとうございます。

私もしっかり読ませていただきました。

きっと誰かの心に響き、必ず役に立つと思います(^^)

貴重な体験談、ありがとうございました!

 

 

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